最新作





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作品リスト

【最新作】 待つ
2019年 油彩
1978年 油彩F60号 河北展 長女6歳、次男4歳を描いた。河北展に初入選。
以後、河北展に挑戦を続け、入選12回、入賞3回をもって河北展出品を中止す。
1979年 油彩P60号 河北展 英二4歳の後ろ姿が可愛いので、この後も何点か描いている。
3. 漁港
1979年 油彩M80号 新芸術展
1981年 油彩M80号 河北展 私の家から車で30-40分程度、国道48号線を山形方面へ向かうと左手にレンガ壁のニッカの工場が見えてくる。
1982年 油彩M80号 新芸術展(東北展) 父の故郷である沖縄旅行をした時のイメージである。
1982年 油彩M80号 河北展 首里城の石垣と太い木の間から見える白い花
7. 牧場
1983年 油彩M80号 河北展 岩手県にある小岩井牧場
1984年 油彩F60号 医科芸術祭 今も続いている仙台市定禅寺通りで行われる市民祭り
1985年 油彩M20号 医科芸術祭 雨が降る函館のハリストス正教会
1985年 油彩M80号 河北展 私の医院の4階から見える秋の景色。紅雀を飼っていた。
1983年 油彩M80号 新芸術展(東北展) 「ピアノシリーズ」の第1作目。奨励賞受賞。本展(東京)に出品し東洋美術賞受賞。ル・サロン展(フランス国営展)入選。
1984年 油彩M80号 「ピアノシリーズ」の第2作目。ル・サロン展(フランス)名誉賞(銅賞)受賞。
1985年 油彩M80号 河北展 「ピアノシリーズ」の第3作目。
1985年 油彩M80号 河北展 「ピアノシリーズ」の第4作目。
1987年 油彩F80号 河北展 入賞(M賞)。友人とエジプトを旅行した。
1987年 油彩F80号 河北展 河北展入選
1987年 油彩M100号 県芸術祭
1988年 油彩M80号
1987年 油彩F60号 県芸術祭
1988年 油彩F10号
1988年 油彩M80号 新芸術展
1988年 油彩M80号
1989年 油彩F80号 河北展
1990年 油彩M80号 新芸術展
1990年 油彩F100号 河北展 兄弟の愛がモチーフ
1991年 油彩M80号 新芸術展東北支部展 早く治って。
1991年 油彩M80号 河北展 東北放送賞受賞。どこにでも「いたずら描き」したい
1992年 油彩M80号 河北展
1993年 油彩F80号 県芸術祭 西洋の頑丈かつ荘厳な門
1993年 油彩M80号 未発表。印象的な青い戸。
1993年 油彩F10号
32. 玉葱
1996年 油彩F10号
2000年 油彩F30号 マリオネット指揮者が一人部屋の片隅に
2004年 油彩M20号
2007年 油彩F10号 医科芸術祭 息子の使い古した革靴が
2008年 油彩F10号
2009年 油彩F10号 宮城県知事室。スペインで見た黄色いポスト…いろんな人から便りが
2011年 油彩F10号
2012年 油彩F10号 尊敬する安田先生を想って
2012年 油彩F10号 仲の良い兄妹
2017年 油彩F10号 父(宝三)が台湾から帰国する際持ってきたもの
2017年 油彩F10号
2018年 油彩F20号 孝子との合作
2018年 油彩F6号
2018年 油彩F20号 医科芸術祭
2018年 油彩F20号
2018年 油彩F10号 首里城の正門であり、客を歓んで迎えるという意味。
2019年 油彩
スケッチ
スケッチ
s-3. カメラ
スケッチ
スケッチ
s-5. 三春駒
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s-6. だるま
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s-7. 獅子頭
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s-8. 強面
スケッチ


嘉数研二より

「絵」の思い出

 私が初めて油絵を描いたのは高校1年生の時です。
それまではクレパス、水彩等の絵の具を使っていて、中でもクレパスは材質が油性であり、作品も重厚な感じがして好きでした。
 生来、外で飛んだり、跳ねたりする方が好きで、活発な子供であったから、 母は私に幼少時よりいろいろな習い事をさせて落ち着いた子供にしようと考えたようです。 習字、ピアノ、バイオリンそして小学校の5年生の頃には絵の教室に入れられたが、残念ながら、 ほとんどものになるものはありませんでした。ただ、唯一「絵」だけは嫌いではなく展覧会では入選・入賞などで結果を出し、 賞状や賞品を貰ったのを覚えています。

 小学校時代の絵の先生は小原先生という方で、先生の絵の教室が土曜日の午後やっており、 何人かが教わっており、私もその一人でした。
小学4年生の時に描いた「花瓶と花」(1)の水彩が安井曽太郎画伯著作の小学校の図画の教科書「新しい小学図工」(2)に載って、 母は「めったにないことだ」と言って大層嬉しそうにしていたのを思い出します。


(1)


(2)
自分としては絵が特別好きなわけでも無く、上手いとも思っていませんでしたが、 性格上、描き始めたら最後まで仕上げないと気が済まず、いつもクラスの皆が終わった後まで残って描いており、 掃除担当係の同級生に迷惑がられていました。
 中学生になってからは柔道部に入ったので全く「絵」とは無縁だったが、意外に図工の点数は良く、「5」だったのを記憶しています。

 高校に入ってすぐ、父親(開業医)が体調を崩し、長期間、医院を休診せざるを得なくなったため、 経済的に切り詰めた生活を覚悟し、私も柔道部を辞め、時間的に自由の効く美術部へ入ることにしました。 しかし、美術部へ入部したものの、熱中する性格は同じで、高校1年生の時に初めて描いた油絵が高校美術展で 第2位の仙台市長賞を受賞しました。当然、それからの高校時代の3年間は大学受験よりも油絵を描くことに時間が費やされることになり、 高校美術展では毎回入賞し、新聞にも名前が載るようになりました。
 美術部の先生はモダンアートの佐藤 多都夫先生で、私にとって自由な指導を受けたのは幸運でした。 美術部の部長になったこともあり、大学は美大に行くものと思われていましたが、結局は開業医の後を継ぐために医学部へ進みました。 下宿生活であり、長く絵から離れざるを得ず、卒業し、医師になってから再開することになりました。
 仙台に戻り、勤務医の後、開業を続ける傍ら、ドクター画会や仙台市医師会医科芸術祭、河北展、新芸術協会、ル・サロン展(仏) などに出品し、多くの画友と出会い、そして何よりも素晴らしい指導者(杉村 惇先生、小崎 隆雄先生、渡辺 雄彦先生、日下 常由先生等) に教えを受け、今も油絵を楽しんでいることに心より感謝を申し上げます。

 

作品をまとめるにあたり

 私の油絵を『嘉数研二ギャラリー』に発表することにしたのには幾つかの理由があります。
 これまでも、好きな作品を一部掲載して楽しんではおりましたが、75歳を過ぎて、記憶、体力、活力が低下してきたと感じ、 作品をまとめようと思った次第です。創作した作品はおおよそ50点以上になり、時期としては良いタイミングではないかと考えました。
 これに拍車をかけたのが、同年代の友人、知人が立派な自叙伝を書いて贈ってくれたり、画集を作って発表したりすることが多くなり、 大いに刺激を受けたからです。

 これまで、私は「画集は作らない」と決めていました。
それは、画集を創ればその時点の業績に区切りはつきますが、しかしその後も作品を描き続けるだろうし、作品数も増えていきます。 そうすれば、ふたたび何らかの形でまとめることになるのは必然で、その繰り返しになるのは眼に見えています。 専門の画集制作会社に頼めばその創作等に多額の費用が掛かり、打ち合わせ等も、かなりのエネルギーを費やすことになります。
 そこで考えたのがこれまで慣れ親しんできたITを活用すれば、多くの問題が一挙に解決するのではないかと考えました。






 私が油絵を描くにあたり、教えをいただいた先生(師)が数人おられる。
佐藤多都夫先生、杉村惇先生、日下常由先生、渡辺雄彦先生の各先生である。

 佐藤多都夫先生は、私の仙台一高時代の美術部の教師であり、恩師であり、絵画の基礎を教わった。 先生はモダンアート協会に所属し、当然先生ご自身の作品は抽象画であったが、私達生徒は美術部に属していたにも拘らず 先生の作品に接することは、ほとんど無かった。私が医学部を卒業し、医師となり、自分の自由な時間が持てるようになって、 いろいろな展覧会へ油絵を出品するようになったころから、先生は毎年、12月中旬になると奥様と二人で小生宅を訪問され、 私がその年に描いた作品を見てくれた。決して具体的な指導はせず、「うん、面白いな」と言うのがせいぜいであり、 自分としては「上手くいったぞ」と思っている作品に対しても、決して「うまい」とか「傑作だ」という褒め言葉は無く、 私としては物足りなく感じていた。
 私が、「描いても、描いてもさっぱり上手くならない」と愚痴を言うと、先生は「絵を描くということは、 螺旋階段を少しずつ上って行くようなものだ。同じところを歩いているように感じるかもしれないが、 実際は少しずつ上に登っているんだよ」と励ましてくれた。なるほど、数多く描かないと駄目だということに気付かされた。
 また先生は、一生懸命絵を描き続けていると、ある時「ハッ」と新境地に転換する時が来る。これを「はじける」と言って、 画家にとって大きく進歩し、上昇する時である。と話してくれた。確かに画家の作品を永年見ていると、何年経っても画風が変わらず、 面白くない絵を描いている絵が、ある時「ハッ」とする作風に変わることがある。
 佐藤多都夫先生の作品の経過を追ってみると1956年頃から半具象から抽象の「状態シリーズ(油彩)」に突入する。 20年を経て1977年になると油彩からアクリル絵具による情況シリーズ(アクリル)に大きく転換し発展する。 私は1979年作の情況 LQ-M-BCM(アクリル)が大変気に入り、無理を言って先生から譲っていただいた。

 杉村惇先生は 日本の具象絵画の第一人者であり、日展の理事まで勤め、県のみならず日本を代表する画家であり、 多くの有能な弟子を育て上げた。その方々が現在の日展を牽引しておられる。私は先生の絵が好きで無理を言って何点か譲り受ける ことができたことは幸運であり、私の書斎など身近に飾り毎日楽しませていただいている。全く飽きのない素晴らしい作品であり、 一人で楽しんでいるのが勿体ない。
 先生のご自宅が私の医院の近くにあって、たまに電話をしてお邪魔することがあり、奥様の美味しいお茶をご馳走になり、 絵の話をしたことなどを思い出す。また、先生の画室に「お弟子さんも入れることはないんですよ」と言いながら製作途中の 大作のある室に入れて頂いたこともあった。
 先生は声も大きく、豪快な性格で物事をはっきり明解に表現し、好き嫌いをはっきり話す私の大好きなタイプの方であった。

 日下常由先生には 新芸術協会会員に推薦いただき、同展覧会に出品し、入選、入賞することができたこと、加えて、 フランスの国営展であるル・サロン展に推薦いただき、出品作品が連続入選と名誉賞(銅賞)を受賞し、 グランパレ宮殿に展示されたことは大変嬉しく、光栄なことであると感謝している。 (この時の私の作品「ピアノの前」シリーズ3点の中の1点は宮城県医師会館2階の「大手町ホール」に展示されている。)

 渡辺雄彦先生は 杉村先生のお弟子さんで今や一番弟子と言っても過言ではないでしょう。 私も出品する仙台市医師会主催の「医科芸術祭」で、毎年講評を頂いており、大変的確なアドバイスは勉強になり、 心より感謝申し上げる次第である。先生の絵も宮城県医師会館の玄関の壁面に飾らして頂いている。

嘉数 研二 (2019/10/23)

― プロフィール ―

嘉数 研二 (かかず けんじ)
昭和18年8月30日生まれ
宮城県仙台市出身


― 画歴 ―

・ル・サロン展(フランス)
 入選4回、入賞(名誉賞、銅賞)

・河北展
 入選12回、入賞3回

・ドクター画会会員
・新芸術協会会員
・宮城県芸術協会会員
かかず整形外科WEBサイト